やまなしの国保 4月号
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プロフィール学歴職歴 昭和45年 3月 北海道大学医学部卒業 昭和45年 4月 医師国家試験合格 医籍登録       同 年 北海道大学第1外科 昭和50年 3月 国立療養所道北病院外科 昭和57年 4月 組合立飯富病院 平成 5年 4月 組合立飯富病院院長 平成22年 4月 組合立飯富病院名誉院長 平成23年 4月 峡南在宅医療支援 センター長 平成25年 4月 財団法人 山梨県健康管理事業団      診療所所長      健診部長公  職 ● 山梨県生活習慣病検診管理指導協議会 肺癌乳癌部会長 ● 山梨県感染症審査会委員所属学会 ● 日本CT検診学会 ● 日本禁煙学会19vol.身延町早川町組合立 飯富病院山梨県南巨摩郡身延町飯富1628TEL:0556-42-2322(代)FAX:0556-42-3481身延町早川町組合立飯富病院峡南在宅医療支援センター(おさだ ただよし) 長い間勤めた飯富病院を辞めることになった。病院に隣接した住宅のダイニングの椅子に座ると、ハンギングバスケットのパンジーの横に身延山の頂を見上げることができる。そんな飯富で31年間過ごしたことになる。母校の北海道大学医学部の後輩でもある、南部町出身の芦澤先生が後任の外科医と決まり、晴れて定年を迎えたのだ。 「病院へ歩いて行けるところでなければ外科医は勤まらない」との信念にちかい思いは、何の違和感もなく妻と共有できたので、昨年還暦を迎えた彼女にとっては、まさに人生の半分をこの峡南の地ですごしたことになったのだった。 それにしても30年余りの諸々の思いやら思いつきやらで、病院と自宅に蓄積したものどもは信じられないような数と量になり、ことに本は医学雑誌から、だっちもない書物までいれるとその量と重みは想像を絶し、寝室の床が抜けるほどだったのだ。 まず、雑誌と名前のつくものは全て捨てることにした。お世話になった肺癌学会などの学会誌は病院の廃棄物と共に捨てさせていただき、アエラと文藝春秋は資源回収センターに運んだ。しかし、写真が素晴らしいナショナルジオグラフィックは捨てるに忍びずと、そんなこんなで結局のところ過半が残り、とうてい通常の住宅には収まらないことになった。 引越し先は、中央市の豊富にある祖母の生まれた家で、子供の頃何度も訪れた時、大きな藪蚊に刺された記憶のある千坪を超える庭園の中に建てられたマンションである。その3階の続き部屋の防火扉を取り外してヴェランダの往来を可能にし、夫婦別室でも不便さを最小にすることにした。「そんな浪費を」、との声もあったが、妻も私も、「荷物が多いのだからしょうがない」で納得している。 本より厄介なものもあった。家の周りに置かれたパンジーやダリヤやクンシランなどの花たちと室内の観葉植物である。「花はきれいなのに、なにもしゃべらない」とのあたりまえの真実を何よりも好む私は、春から秋にかけてはインパチェンスやサフィニアを、秋から春にかけて長田 忠孝名誉院長センター長新しい生活を  18

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